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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)22号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 藤井与吉

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 赤澤俊一

右同 吉羽真治

主文

被告は、原告に対し、金三七八万円、及びうち金二六六万円に対する昭和五〇年一月二四日から、うち金一一二万円に対する昭和五一年五月二八日から、完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

本判決は、原告において金一〇〇万円の担保を供するときは、これを仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

主文一、二項と同旨の判決、並びに仮執行の宣言。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決。

第二当事者双方の主張

一  原告の請求の原因

(一)  原告と被告とは昭和二九年四月二日婚姻届をした夫婦であるところ、原告は、昭和四五年八月二九日被告との間で、原告と被告とは別居すること、被告は原告に対し本約定成立以後毎月二五日限り一箇月当り金一〇万円の割合の金員を生活費として支払うことの契約を締結した。

(二)  そこで、原告は、昭和四五年一〇月一日横浜市○○区○○○町××××番地に転居してじ来被告と別居しているが、被告は、原告に対し、昭和四六年一一月一日以降の前記(一)記載の一箇月当りの約定金を一方的に減額した金三万円しか支払わない。

(三)  よって、原告は、被告に対し、昭和四六年一一月一日から同五一年四月三〇日までの間の一箇月金七万円(一箇月あたり金一〇万円の前記約定金から被告が毎月支払っている金三万円を控除した残金)の割合による前記(一)記載の約定金の合計金三七八万円、及びうち金二六六万円(昭和四六年一一月一日から同四九年一二月三一日までの間の分)に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五〇年一月二四日から、うち金一一二万円(昭和五〇年一月一日から同五一年四月三〇日までの間の分)に対する原告が昭和五一年五月二七日付原告第二準備書面を陳述した日の翌日である昭和五一年五月二八日から、完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

(一)  請求の原因(一)の事実は認める。但し、原告が昭和四五年八月二九日被告との間で締結した契約の内容は原告主張のとおり簡単なものではなく、後記三の(一)の1の(1)ないし(6)記載のとおりである。

(二)  請求の原因(二)の事実は認める。

(三)  請求の原因(三)は争う。

三  被告の抗弁

(一)1  原告が昭和四五年八月二九日被告との間で締結した契約の全内容は次の(1)ないし(6)のとおりであった。

(1) 原告と被告とは、それぞれ別居し、各人の平和な社会的及び私的生活を互いに何ら侵害しないことを承認すること。

(2) 被告は、原告に対し本約定成立以降毎月二五日限り、一箇月金一〇万円の割合の金員を生活費として支払うこと。但し、右金額については、将来物価の変動或いは原告の生活状態の変化等客観状態が変化した場合双方協議の上これを増減することができる。

(3) 被告は、原告のために、横浜市○○区○○地区内に金五〇〇万円相当額の土地、建物を購入すること。但し、右不動産の登記名義は被告とし、原告のために売買予約の仮登記をなしておき、将来被告は原告に対しこれを遺贈すること。なお、昭和四五年九月末日までに右不動産の購入が完了しない時は、被告は右購入が完了するまでの間暫定的措置として、原告のために右○○地区に家賃一箇月三万円程度の借家を賃借し、右賃貸借に関する費用一切を負担すること。

(4) 原告は東京都○○○区○○○○○町×丁目において原告名義にて現在営業中の喫茶店営業は昭和四五年一二月までに廃業すること、及び本約定成立後は右営業に何ら関与しないことを承認すること。

(5) 被告は、原告が将来法要その他親族間の公式の会合に出席する必要が生じた場合は、妻の立場で出席することを承認すること。

(6) 若し万一、原・被告間において前各項に規定した以外の問題が発生した場合は、原・被告及び本件立会人の協議の上円満妥当な解決をはかること。

2  ところが、右契約成立後、原告は、右契約の基本的な約定である右1の(1)記載の約定に違反する次の(1)及び(2)の各行為をなした。

(1) 右1の契約成立後の昭和四五年一〇月頃、被告は、その約定に基づき、原告のために横浜市○○区○○地区内に手頃な家屋を探しあて、即刻、右契約の立会人となってくれた訴外乙山一夫ともども原告を高台に所在していた右家屋へ案内したところ、原告は、被告に対し、下に突き落してやり度い等と散々暴言を吐き、更に右乙山に対しても「あんたもグルになって私をこんなところに押し込めるのだろう。」と喰ってかかり、最後に○○駅前で散々被告を罵倒し、「私は好き勝手なことをしてやるんだ。」という捨て台詞を残したまゝ一人で東京都○○○区○○所在の被告経営の会社の事務所へ行ってしまった。

(2) 原告は、早速、右事務所では、内部の什器及び被告の机をひっくり返し、コピーの器械その他の事務用品を放り出す等の乱暴をはたらき、更にその二階の被告の家財道具をこわして乱暴し、そのまゝ一〇日間も右二階に居坐ってしまった。被告としては、右会社内にごたごたを引き起しては右会社の信用を傷つけ、業務にも支障を来たすことになるので、止むを得ず右一〇日間は右会社に出勤しない状態となった。これをみかねて、前記乙山が原告の気持を良く聞いた上で善処する目的でわざわざ右事務所まで出向いたところ、娘春子から右乙山の来所したという話を聞くや原告は右事務所を飛び出して行方不明になってしまった。そこで、原告の娘らが心配して心当りの場所を探してみたが、原告の居場所は直ちに判らない仕末であった。

3  原告の右2の(1)及び(2)の各行為は、前記1の(1)記載の約定に違反して、前記1記載の契約の基本精神を踏みにじるものである。そこで、被告は、昭和四六年一一月頃、原告に対し、右のとおり原告が前記1の(1)記載の約定に違反したことを理由として請求の原因(一)記載の契約を解除する旨の意思表示をしたので、これにより右契約は解除された。

(二)  仮に右主張が認められないとしても、原告と被告とは昭和二九年四月二日婚姻届をした夫婦であるから、被告は、民法七五四条に基づき、昭和五一年五月二七日の本訴口頭弁論期日において、原告に対し請求の原因(一)記載の契約を取消す旨の意思表示をした。そうすると、これにより右契約は取消された。

四  抗弁に対する原告の認否

(一)  抗弁(一)の1の事実は認める。

抗弁(一)の2の(1)のうち、被告主張の日時、場所において、原告が乙山一夫に対し「あんたもグルになって私をこんなところに押し込めるのだろう。」と云い、被告に対し「あんたが女を作って好き勝手なことをするなら、私も勝手なことをしてやるんだ。」と云って、被告主張の○○の事務所へ行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

抗弁(一)の2の(2)のうち、被告主張の○○の事務所において、原告が机の引出しを開けて中の物をまき散らし、コピーの器械(但し小型の古いもの)を倒し、二階の被告の家財道具をこわし(但し、ハンドバックで二階の戸棚のガラスを一枚割っただけ)、約一〇日間右事務所に居たこと、乙山一夫が来たとき原告が右乙山に会うことをさけたこと(それは、右乙山が被告にばかり味方するからである。)は認めるが、その余の事実は否認する。

抗弁(一)の3のうち、被告が昭和四六年一一月頃原告に対し請求の原因(一)記載の契約を解除する旨の意思表示をしたことは否認し、その余は争う。

原告と被告とは夫婦であって法律上同居して互いに協力し扶助する権利を有し義務を負うものであるところ、被告は、他に女性を作り、同女と同棲するために、原告に別居することを押しつけたものである。しかも、被告が案内した家屋は○○駅から徒歩三〇分もかかる遠方に所在していたのである。従って、原告は、それらについてのうっ憤のやりどころがなくて衝動的に前記各行動に出たものであるから、これをもって、被告主張のとおり本件契約の基本精神を踏みにじるものであるとは到底いえない。

(二)  抗弁(二)のうち、原告と被告とが昭和二九年四月二日婚姻届をした夫婦であることは認めるが、その余は争う。

五  原告の再抗弁

(一)  抗弁(一)に対し

仮に原告が抗弁(一)の2の(1)及び(2)の各行為をなしたとしても、被告は、その後、原告に対し、原告の右行為を宥恕して、前記約定どおり、一箇月当り金一〇万円の約定金を支払った。そうすると、被告はもはや原告が右行為をなしたことを理由にして請求の原因(一)記載の契約を解除することはできない。

(二)  抗弁(二)に対し

原告と被告とは目下離婚訴訟を進めているものであるから、この場合、被告が原告に対し民法七五四条の取消権を行使することは権利の濫用として許されない。

六  再抗弁に対する被告の認否

(一)  再抗弁(一)のうち、原告が抗弁(一)の2の(1)及び(2)記載の各行為をしたのちも被告が、原告に対し一箇月あたり金一〇万円の割合の約定金を支払っていたことは認めるが、被告が原告の右行為を宥恕したことは否認し、その余は争う。

(二)  再抗弁(二)のうち、原告と被告とが目下離婚訴訟を進めていることは認めるが、その余は争う。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  請求の原因一及び二の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、被告主張の抗弁について検討する。

(一)  抗弁(一)について

1  抗弁(一)の1の事実は当事者間に争いがない。

2  そして、≪証拠省略≫によれば、原告と被告との夫婦生活は、妻の原告が夫の被告よりも八年九月年長である上に家族関係が複雑(原告には先夫との間の子供があり、被告との間にも娘が出生したこと)であるばかりか、原告が生理期ごろになると情緒不安定を来たしてヒステリーを起すことなどの原因が重なって円満を欠くようになり、昭和四五年五月頃原告が前途を悲観して自殺をはかって入院したこと、そこで、被告は、右入院先を訪ねて原告と今後の夫婦生活について話合おうとしたが、原告が冷静に右話合に応じようとしなかったので、同年六月頃原告と離婚する意思を固めて、身廻品を持って家出したこと、その後被告は湯河原温泉で知り合った訴外丙川月子と同年七月末頃から東京都○区○○○に居を構えて同棲するようになったこと、右の頃入院先から帰宅した原告は、被告が家出していることを知ったばかりか、被告から右丙川と同棲していることを聞かされて驚愕し、その翌日右ショックのため再び自殺を図り、病院につれ戻されたこと、その後被告は原告との離婚を強く希望したが、原告はこれを拒否したので、被告の知人の乙山一夫が右双方の間にたって話合いをすすめた結果、原告はようやく別居なら応ずるとの返事をするようになったこと、そこで、右乙山が右双方間の意見の調整を図った案として、右双方が抗弁(一)の1の(1)ないし(6)記載の約束をしてこれを実行するよう提案して、子供らを交えて話合いをさせた結果、昭和四五年八月二九日原告と被告との間に抗弁(一)の1の(1)ないし(6)記載の各約定をもりこんだ契約が締結されたこと、抗弁(一)の1の(2)及び(3)の約定は原告が希望したものではなく、被告の方からの提案によるものであったこと、その際、被告は、原告と別居して今後は前記丙川との同棲生活を継続できるものと考えていたが、原告からは右同棲を認める旨の明確な表明はなかったこと、その後同年一〇月頃、被告が右契約に基づき原告に提供すべき家屋を見つけたので、乙山一夫とともに、横浜市○○区○○○町に所在している右家屋に原告を案内したところ、右家屋は、駅から徒歩で三〇分以上もかかる遠距離にある上に新幹線の傍で騒音が著しかったため、原告は、右家屋に転居することを拒否し、被告は前記丙川と同棲しながら、自分を邪魔者扱いにしてこんなひどい家に追いやる心算であると考えてくやしさの余り、右帰途、○○駅で、乙山一夫に対し、「あんたも被告とグルになって私をこんなところに押込めてしまうつもりだろう。」と大声でくってかかり、更に、被告に対して、「あんたは二号をもって勝手なことをしているから私も勝手なことをしてやる。」とわめいたこと、そして、原告は、同日そのまゝ東京都○○○区○○所在の被告が経営している会社の事務所に行って、被告の机の抽出を全部ひき出してその内容物をその場にばらまき、コピーの器械をひっくりかえし、二階へ上って行って本箱のガラスを割り、その後、そのまゝ一〇日間ぐらい右事務所の二階に居坐わったため、その間、被告は、社員の手前をはばかって右事務所に出勤しなかったこと、しかし、被告は、その後も昭和四六年一〇月まで原告に対し前記約定の毎月金一〇万円の生活費の仕送りを続けたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  右認定事実によれば、被告が原告に対して毎月生活費を金一〇万円支払う旨の請求の原因(一)記載の約定(抗弁(一)の1の(2)記載の約定)をしたのは、原、被告間に抗弁(一)の1の(1)記載の約定がなされて、これにより原告と被告とが別居して互いに各自の生活に干渉し合わないで今後平穏な生活をおくることを約定し、これが実行されるものと期待したためであり、従って、請求の原因(一)記載の約定(抗弁(一)の1の(2)記載の約定)は抗弁(一)の1の(1)記載の約定が遵守されることが前提となっておって、当時原告もこのことを承知していたものというべきであるから、若し原告が抗弁(一)の1の(1)記載の約定に違反した場合は、被告は、原告に対しこれを理由として右契約全部を解除して右約定による金員の支払い義務を免れるものといわなければならない。そこで、原告が抗弁(一)の1の(1)記載の約定に違反した事実があるか否かについて考えてみる。右2に認定の事実によれば、右契約締結当時被告は丙川月子と同棲していたため、原告は右契約の締結によって被告が今後右丙川と同棲を続けることを黙示的に容認したものというべきであるが、妻が夫の不貞行為を容認することは相当の覚悟や決断を要し、これによる憤まんの情や心の葛藤は一朝一夕にして沈静するものではないことは経験則上明らかであるばかりか、被告が原告に給付する抗弁(一)の1の(2)、(3)記載の物質的利益は原告の右感情を軟化させる手段としてはけっして十分なものではないから、原告は右のとおり夫である被告の不貞行為を容認したものの、当時これによる内心の葛藤は容易におさまらず、これが沈静するためにはかなりの日時や紆余曲折を経過することを要する状態であったものと推認でき、このことは、右契約締結の経過や時として感情の起伏の激しくなる原告の気性を知っている被告も十分承知していたものというべきである。そうだとすると、被告は、原告から、右双方が別居して今後は互いにその生活に干渉し合わない前記約束をとりつけたものの、これが完全な実行の運びに至るまでには、なお二、三箇月の日時を要し、場合によってはそれまでに原告といさかいの一つや二つはおこるものと覚悟して、その点は容認の上で原告と前記契約を締結したものと認めるを相当とする。このことは、前記認定のとおり原告の前記2の行為があったのちも被告が原告に対し前記約定の毎月金一〇万円の生活費の仕送りを減額ないし中止せずに長期間続けていることからも十分推認できるところである。しかして、前記2に認定の事実によれば、原告のなした前記2の行為は前記契約締結後さほど日ならずしてなされたものである上に、被告が前記丙川と同棲していることに対するくやしさの気持が未だおさまらず、その感情の持って行き場がなくて遂行されたものであり、これにより、被告は迷惑をこうむってはいるが、前記丙川との同棲生活に支障を来たす結果にはなっていないことなどを考え合すと、原告の前記2の行為は、被告が前記契約締結の際予想して止むを得ないものとして容認していた範疇に属する行為であるものというべきである。

4  そうだとすれば、前記2に認定の原告の各行為をもって、原告が抗弁(一)の1の(1)記載の約定に違反した行為をなしたものであると断ずることはできないので、原告が右違反行為をなしたことを前提とする被告の抗弁(一)の主張は、その余の点につき判断するまでもなく、採るを得ない。

(二)  抗弁(二)について

原告と被告とが昭和二九年四月二日婚姻届をした夫婦であることは当事者間に争いがないところ、被告が昭和五一年五月二七日の本訴口頭弁論期日において、原告に対し、民法七五四条に基づき、請求の原因(一)記載の契約を取消す旨の意思表示をしたことは本件記録上明らかである。しかし、夫婦関係がすでに破綻している場合においては、その夫婦は、その相手方に対し民法七五四条に基づき取消権を行使することができないものと解するを相当とする。しかして、前記(一)の2に判示の事実によれば、原告と被告との夫婦関係は現在すでに破綻しているものと認められるから、この場合被告は原告に対し民法七五四条に基づき請求の原因(一)記載の契約を取消すことができないものといわなければならない。

してみれば、被告の抗弁(二)の主張は採るを得ない。

三  以上判示したところによれば、被告は原告に対し、請求の原因(一)記載の契約に基づき、原告主張の昭和四六年一一月一日から同五一年四月三〇日までの間の一箇月金七万円(一箇月あたり金一〇万円の前記約定金から被告が毎月支払っている金三万円を控除した残金)の割合による合計金三七八万円の約定金及びうち金二六六万円(昭和四六年一一月一日から同四九年一二月三一日までの間の分)に対する本件記録上明らかな本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五〇年一月二四日から、うち金一一二万円(昭和五〇年一月一日から同五一年四月三〇日までの間の分)に対する本件記録上明らかな原告が昭和五一年五月二七日付原告第二準備書面を陳述した日の翌日である昭和五一年五月二八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。

四  よって、原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山﨑末記)

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